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あおいくま と あいさつ

「あおいくま」は、まめちゃんが小学5年のときの道徳の資料「あいさつって、すごか」にかかれていたお話で、このお話はコロッケさんの子どものときの話でした。 「あおいくま」はコロッケさんの家の壁に張られていた標語

2020年7月5日日曜日

たのみまゐらせて

末代無智の御文章さんより。
こころをひとつにして阿弥陀仏をふかくたのみまゐらせて、さらに余のかたへこころをふらず、一心一向に仏(ぶつ)たすけたまへと申さん衆生(しゅじょう)をば
  • 「たのみまゐらせて」は阿弥陀仏の本願力を「頼みにする」という自力を離れた帰依の意味。
  • 「余のかた」は、他の宗教のこと
  • 「たすけたまへ」は「お任せします」という帰依の意味。阿弥陀仏の第十八願である「念仏を唱えることによる往生の誓願をお受けいたします」の意であり「助けてください」ではない。

子供の頃から何気なく読んでいた文章の意味が分かってくるとおもしろいものだ。
お経は単にお経ではあるけれど、理解できると深い意味がある。


第十八願
設我得佛(せつがとくぶつ)
十方衆生(じっぽうしゅじょう)
至心信樂(ししんしんぎょう)
欲生我國(よくしょうがこく)
乃至十念(ないしじゅうねん)
若不生者(にゃくふしょうじゃ)
不取正覺(ふしゅしょうがく)
唯除五逆(ゆいじょごぎゃく)
誹謗正法(ひほうしょうぼう)
意訳(ウィキペディアより。[ここ])
(http://ja.wikipedia.org/wiki/%E7%AC%AC%E5%8D%81%E5%85%AB%E9%A1%98)
わたしが仏になるとき、すべての人々が心から信じて、わたしの国(=極楽浄土)に生れたいと願い、わずか十回でも念仏して、もし生れることができないようなら、わたしは決してさとりを開きません 。ただし、五逆の罪を犯したり、仏の教えを誹るものだけは除かれます。(第十八念仏往生の願)

別の意訳(ウィキペディアより。[ここ])
私が仏となる以上、(誰であれ)あらゆる世界に住むすべての人々がまことの心をもって、深く私の誓いを信じ、私の国土に往生しようと願って、少なくとも十遍、私の名を称えたにもかかわらず、(万が一にも)往生しないということがあるならば、(その間、)私は仏になるわけにいかない。ただし五逆罪を犯す者と、仏法を謗る者は除くこととする。

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