「お母ちゃん、ぼくの○○はどこ?」
この一言は、お母ちゃんのせいにしているのか?
話し手の言い方と、聞き手と受け取り方で違ってくる。
子どもが人のせいにするのは、人のせいにしているのではなく、主観で見た事実を述べているだけという考え方がある。
そうすると、親がする必要があるのは、「私のせいにしている!」と怒るのではなく、言い方を教えることかもしれない。
これは、親が達観できると落ち着いて対応できる。
子どもの言葉の中には、「○○がないのは、お母ちゃんのせいだ」という言葉はない。
子どもは○○がないという事実を伝えているだけで、人のせいにしているつもりはないのに、「人のせいにしないの!」と怒られたら、話す気を失ってしまう。もしくは、「人のせいなんかにしていない!」と怒り、親子関係を崩してしまう。
「○○がないのね。どこに行ったのかな?、探してみて」と言うと、子どもは、ないという事実を受け入れてもらえた(=話を聞いてもらえた)ので、安心して次の行動(探す)に移れる。
親がどれだけ達観できるか。
同じようなことで、結婚した時、パートナーが事実を言っているだけなのに、自分が責められていると感じ、怒ってしまう事がある。
「この部屋にクーラーが付いていると、使い勝手がいいのよね」という、主観的な事実を奥さんが言うと、それを聞いた旦那さんは「クーラーを付けていなくて悪かったな!」「クーラーを付けるお金がなくて悪かったな!」と怒ってしまうかもしれない。
大人の会話なので、言い手が言い方を気をつければすむことだが、ふと言ってしまうこともあるので、聞き手も明確に人のせいにしていなければ、相手は自分のせいにはしていないと思うくらいの図太さがあると良い。
日本の文化は、High contextな文化(の中でも、最もHigh contextな部類)と呼ばれ、言葉に出ていない意図を深く読み取る。これが良いときもあるが、上記のような場合はマイナスになっている。
ちなみに、欧米のLow contextな文化であれば、言葉に出ていないところにある意図を汲み取ろうとしないので、上記のような問題は起きないかもしれないが、明確に話して聞かせないと気持ちが伝わらない。
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