最近、いろいろと注意されてばかりで、腹が立つようですね。
父ちゃんの目から見ると、やるべきことをやっていない、促されても「分かってる!」と言い返すだけでやらないから注意されているように思いますが、「やるべきことをやっていない」と分かっているので注意されると腹が立つのかもしれません。
ある本にこう書かれています。
注意する人は、相手のことが憎くて注意しているのではありません。仕事を覚えてもらいためであったり、少しでもその人がうまくいくようになればいいと思って注意するのでしょう。
注意してくれることは、ありがたいことなのです。
そして注意されるということは、結果が不十分だからでしょう。ちゃんとできていないから注意されるのですね。たまに理不尽な理由もあるかもしれませんが、それは一般的ではありません。
やはり、多くの場合、注意されるのは、出来が悪いからです。
そこを心得違いしていては、自分自身のためにはなりません。
聞き入れられないというのは、筋違いですね。ましてや腹が立つ、頭に来る、というのは、注意した側からみれば「何様のつもりか」となってしまいます。「うぬぼれが強いのではないか、自己評価が高すぎるのではないか」と思われても仕方がありません。
お釈迦様は、このように注意を聞き入れないものを「増上慢(ぞうじょうまん)」と呼び、決して増上慢にはならないようにと注意しておりました。
増上慢になれば、その人はそれ以上、成長しなくなるからです。注意を受け入れるということは、「成長できる」ということなのです。
お坊さんが教える「イライラ」がスーッと消える方法(鳥沢 廣栄 著、ISBN978-4-8013-0349-2)
P25.第1章 お坊さんが教えるイライラを鎮める方法
まずは、やるべききことをやりきりましょう。自分の主張をするのはその後です。
やるべきことをやりもせず、反抗ばかりしていたら、終わっていないことを知っている自分の心も落ち着かずイライラするし、ますます急かされるので悪循環です。
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