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あおいくま と あいさつ

「あおいくま」は、まめちゃんが小学5年のときの道徳の資料「あいさつって、すごか」にかかれていたお話で、このお話はコロッケさんの子どものときの話でした。 「あおいくま」はコロッケさんの家の壁に張られていた標語

2020年9月20日日曜日

イライラの対処 ― 積極的あきらめの勧め

すぐにイライラしてしまうのを何とかするための考え方の一つの紹介です。

人生は「何一つとして思うようにはならない 」ことを理解して、だからこそ、イライラ・妬み・恨みなどせず、生きていこうと考えてみてはいかがでしょうか。


最近読んだ本からの引用です。

積極的あきらめの勧め

イライラの原因は、自分の思い通りにならないというところにあり、思い通りにならないことをなんとかしようとあるあがきをするところに生まれてくるものである、(中略)

お釈迦様が説いているように、この世は苦の世界である、ということを認識することから始まります。

決してこの世は楽な世界ではない。そしてそれは仕方がないことなのだと理解することが重要なのです。

なぜなら四苦八苦というものは、この世に生まれた以上、誰もが決して避けることができないこと、と決まっているのですから。

自分のことも自分の周りのことも、思うようにならないのが、この世なのです。この「思い通りにならない」ということは、自分だけにあることではなく、誰にでもあることなのです。(中略)。

これを実践すれば、イライラすることはありません。なぜなら、どのようなことに対しても、初めから「思うようにはならない」とわかっているからです。

(中略)

この世は、何もかも自分の思い通りにはならないと理解し、納得していれば、焦ったり、感情的になったり、妬んだり、苛立ったり、怒ったりすることはなくなるのです。

(中略)

「この世は思い通りにはならない世界だ」と認識することは、結果だけを見ればあきらめと同じように見えますが、酒があるのです。そこで終わっているわけではありません。

「この世は思い通りにはならない世界だ。だからこそ、イライラしたり、怒ったり、妬んだり、羨んだり、恨んだりなどと感情的にならないように生きていこう」(中略)

同じあきらめでも、捨て鉢になって先を見ないのか、思い通りにならないものと納得して自分の感情をコントロールするのかでは大きな違いがあるでしょう。


お坊さんが教える「イライラ」がスーッと消える方法(鳥沢 廣栄 著、ISBN978-4-8013-0349-2)
P19.第1章 お坊さんが教えるイライラを鎮める方法


<注記1>

引用した中には「あきらめる」という言葉が出てきますが、余談があるので書いておきますね。

あなた達の大きいじいちゃん(お父ちゃんのおじいちゃんですね)は、行方不明になって亡くなりました。あちこち探しましたが発見することができず、1ヶ月位して亡くなった状態で発見されました。おじいちゃんはもっと早く見つけてあげられなかったことを気にしていました。

亡くなったときには、お坊さん(方言ですが、お坊さんのことを「おじゅっさん」と言います)が極楽浄土で使う名前を付けてくれます。そして、このときに付けてくれた戒名には「諦」(あきらめる)という漢字が入っていました。おじいちゃん(お父ちゃんのお父さんですね)はそれが気になって、おじゅっさんに聞きました。

『「あきらめなさい」という意味でしょうか』

おじゅっさんは、「諦」は漢字としては「あきらめる」と読みますが、仏教用語では「悟り」という意味であり、戒名に諦の漢字が入っていることを教えてくださいました。

この記事では「あきらめる」ことが出てきましたが、「諦める」を「悟る」に置き換えると腹落ちしやすいでしょう。

「この世は思い通りにはならない世界であると悟り、イライラ・妬み・恨みなどをせず、生きていこう」

という記事を書いている父ちゃんも、短気ですね。気をつけよう!。


<注記2>

もう一つ。天台宗の荒 了寛(あら りょうかん)さんは、次のように書いています。思った通りにはならないけれども、行動した内容が重要だよという意味ではないでしょうか。

『思った通りにはならないが やった通りにはなる』

羅漢さん 毎日毎日心の日めくり 心をこめて聞け、心をこめて話せ(荒了寛)
ページ 23日目


<注記3>

「この世は思い通りにはならないのかもしれないが、世の中には、思い通りにやっている人もいるではないか。なぜ、私だけが我慢しないといけないのか。」と思うかもしれません。

そういう人は、人知れず、人の何倍もの努力をしているようです。また、先のことをよく考えて、どのような状況になっても対処できるように準備しているようです。

そういう人に見えない努力の結果が、周りから見ると、何でも思い通りにやっているように見えるだけのようです。

だからこそ、先に引用した了寛さんの「やった通りにはなる」なのでは無いでしょうか。

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